1. ホーム
  2. ≫運営者プロフィール

運営者プロフィール

プロフィール画像

はじめまして。CBIREを運営しております山田タカユキと申します。漢字で書くと山田隆幸、本名です。

ここでは僕の略歴と、このサイトを運営するに至った経緯について簡単にふれています。お付き合いいただけると嬉しいです。

■ハンドルネーム
山田タカユキ(ハンドルネームといっても本名ですが)
■生まれ
1971年9月、札幌市生まれ
■住まい
東京・大阪・神戸と渡り歩き、現在は札幌
■職業
会社員、副業アフィリエイター
■血液型
O型(やっぱりね、とよく言われます・・・)
■趣味
音楽鑑賞:山下達郎、akiko、樹里からん、Indigo Jam Unit、80’sポップス、etc
映画鑑賞:恋のゆくえ、プラダを着た悪魔、ランボー、マーサの幸せレシピ、etc
■資格
日本ダイエット健康協会認定・プロフェッショナルアドバイザー
ダイエットアドバイザー合格証書

幼年期のあだ名は”ハイマンナン”

イジメに遭っていた小学生時代

小学生の頃、酷いイジメに遭っていました。理由は太っていて天然パーマだったからです。同級生が僕につけたあだ名は「ハイマンナン」

ハイマンナンというのは昭和50年代に販売されていたダイエット食品。いまと違って当時はダイエット食品を摂取することは”恥ずかしい”ことだったんです。つまり、ハイマンナンは恥ずかしいものの代名詞だったんですね。

「このままではこの世から消されてしまうのではないか」と漠然とした不安を抱いた僕が救いを求めたのが空手道。幸いにも素質に恵まれていました。

師範に褒められるのが嬉しくて、毎日のように道場に通ううちに体重はみるみる減少し、デブなのを理由にバカにされることはなくなっていったのです。

全道大会で優勝するようになった頃にはイジメもなくなり、逆三角形ボディと虐められない自由な生活を与えてくれた格闘技に心から感謝したものです。

人生最大の挫折。プロキックボクサー時代

一流選手をまえに玉砕

勉強ができず、特技のなかった僕は、高校を出てすぐに大阪の空手道場”S会館”の住み込み寮生として入門しました。格闘技のプロ選手を目指したわけです。

しかし、時代は格闘技イベント「K-1」の全盛時。S会館の練習では佐竹雅昭さん、アンディ・フグさん、サム・グレコさん等々、超一流ファイターがひしめいていました。

北海道の田舎では敵なしだった僕も、自分の才能の限界を思い知らされます。

僕も前座試合まではなんとか使ってもらえましたが、それ以降は試合が組まれることもなく、早々に選手としての夢を断念することに。

井の中の蛙、大海を知らず。しかし、この挫折が転機となり僕はあたらしいスキルを身につけることとなります。

20代後半の現役時代。タイ国・ラジャダムナン・スタジアムで。

トップファイターからノウハウを盗め!

裏方として再出発

選手としての夢を諦めた僕は、裏方としてこの業界に関わっていくことを考えました。つまり、現在でいうところのパーソナルトレーナーとして選手を支えていく立場になれないものかと考えたのです。

あ、見栄を張って”パーソナルトレーナー”などとカッコいい言葉を使いましたが、当時はそんな呼び名は一般的ではなく、ただの付き人みたいに忙しくしていただけなんですが(汗)

とにかく当時、有名選手のコンディションは専属トレーナーの元WBA世界ジュニアウェルター級王者・平仲信明さんや、トータルワークアウトのケビン山崎さんが管理していましたので、可能な限りノウハウを盗みました。

特に平仲信明さんは、空き時間になると僕たち寮生にも指導してくださったので、世界チャンプの減量方法などは必死にノートに写したものです。

そして僕がラッキーだったのは住み込みの寮生だったこと。当時、K-1を主宰していたS会館は経費節減のため、所属する外国人選手をホテルではなくS会館の寮に泊めていたのです。

一流選手のダイエット法とは?

今は亡きアンディ・フグさんや、サム・グレコさん、マイケル・トンプソンさん、チャンプア・ゲッソンリットさん等々、そうそうたるメンバーでした。

そうした外国人選手の世話は、僕たち寮生の仕事。練習はもちろん一緒ですし、彼らの部屋の掃除や練習着の洗濯、食事などの案内で四六時中、彼らに接している生活です。

彼らのようなトップファイターは、ライバルになりえる人間には絶対に明かさないノウハウも、僕らのようなライバルになりえない人間には、案外ポロッと見せるんですよ。

体重制のプロ格闘技には計量というシステムがあって、契約体重をクリアできないと莫大な違約金を請求され、業界追放に等しい処分が下る場合もあります。

ですから格闘家は、不確定要素の多いダイエットは基本的にやりません。結果がわかっているダイエットしかやらないのです。

道端アンジェリカさんやローラさんなど、格闘家にダイエット指導を仰ぐモデル・芸能人が多いのもわかりますね。

K-1出場証拠画像K-1では前座試合しか出番がなかった。クリックで拡大

人の役に立つよろこびに目覚める

実験、実験、実験

もう一つ、僕にとってラッキーだったのは、そうして身につけたノウハウを試せる環境にあったことです。

S会館は世界中に支部があるマンモス道場です。僕が所属していた大阪本部には何百人と門弟がおり、女子クラスだけでも相当の人数が通っていました。

僕は先輩の指導を補佐する立場にいましたので、空手の指導とあわせてコンディショニングや減量方法なども教えて、どのような反応がでるか試すことができたんです。

このタイプの人には効果がでる、このタイプの人には効果はでない、この方法はどのタイプにも効果あり。こういったデータをノートに写してはまた試すといったことを繰り返しました。

失意の底であらたな発見

いちばん興味を持ってくれたのは、少年部の送り迎えでやってくるお母さんたちです。

「山田さんのアドバイスどおりにしたら、普通に生活しているだけで、足のむくみが取れて3kgも痩せたの!」

僕にとっては、プロ選手として成功するという夢に破れて、失意のドン底だった時期。

履けなかったブーツが履けるようになったと、素直に喜んでくれるお母さん達に、僕のほうが癒されたことを憶えています。

僕もそうだったのですが、個人スポーツ、とくにプロ格闘技の場合はナルシストというか、他人のことなんてなんの興味もない場合が多いんです。それだけに、

「他人に喜んでもらって、結果として自分も満たされる」

そういった感覚がとても新鮮でした。人の役に立つ喜びに目覚めた瞬間だったのです。

20代前半の内弟子時代。ムエタイの先生・サムランサックと。

ダイエットアドバイザーとしてスタート

正式に選手を引退し故郷へ戻った僕は、普通に会社員として勤めながら、キックボクシングの教室を開き20代~50代の会員さんを教える毎日を送るようになります。

当初はプロ格闘技のトレーナーを夢見ていましたが、一部の有名トレーナーでシェアを占有されている現実にぶち当たり、この道で生計を立てるのは無理だということに気づいたことと、やはり前述したように

「他人に喜んでもらって、結果として自分も満たされる」

といった経験をしたことが大きかったと思います。

実際、教室で指導していて「教え方が理論的でわかりやすい」という感想をいただくと嬉しかったですし、教えている選手が強くなっていくのを見ていたり、ダイエット目的で通っている会員さんがスリムになっていくのを見ていると、この上ない喜びを感じたものです。

レビューサイト「CBIRE」をスタート

こういった趣味と実益を兼ねる生活が高じて、2016年に日本ダイエット健康協会のアドバイザー資格を取得し、ダイエットDVDのレビューサイト・CBIREの運営をスタートします。

日本ダイエット健康協会のアドバイザー資格を取得したのは、購入者さんにより安心して購入していただけると思ったのはもちろん、日本で一番権威のある団体ですし、代表理事の古谷暢基さんがキックボクシングのジムを経営されていて、そのスタンスに同じ格闘技畑出身者として共鳴する部分があったからです。

ざっとCBIREをスタートさせるまでの経緯を書いてみました。ここまで書いたように

「他人に喜んでもらって、結果として自分も満たされる」

というのがCBIREの運営理念の根本です。安心してCBIREで紹介しているダイエットDVDをお試しください。メールサポートであなたのダイエットの物語を聞けることを楽しみにしています。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。今回の記事になにか感じるものがありましたら、下記のソーシャルメディアを使ってシェア・保存をしていただけると嬉しいです。